急な小4娘の不登校…スピリチュアル的学びを通して考えてみた

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3人育児中の羽田です。

小学四年生になって、突如として不登校になってしまった娘。

今日も相変わらず、不登校な日々が続いています。

最初は、

「なんでみんなできることがうちの娘だけできないの?」
「勉強も遅れるし、将来はどうなるの?」

などと、不安と不満でイライラしていました。

学校まで付き添い、一緒に自習室にいれば、なんとか心の平穏を取り戻す娘。

ただ、クラスには行けません。

給食も別室で食べるのですが、後片付けで給食室に行くことが不可能。

とにかく、大人数(5人以上)の空間にいることが苦痛であることは、親の目から見ても明らかでした。

学校自体は、嫌ではないのだと思います。

できないことを代わりにする、または言葉にしてくれる大人が側にいれば、なんとか一日を学校で過ごすことができます。

ただ、一人になると、途端に思考をフリーズさせ、うつむく娘。
全ての情報をシャットダウンし、石像のようになるのです。

「なぜ学校が嫌なのか?」
そんな質問に答えることはおろか、むしろ、なにが嫌なのか分からない状態。

担任も、
「本人が何も語らないので、何をどう改善していけばいいのか分からない」
とのこと。

それはそうですね。
それはもう、担任に何かを求めることはできません。
親ですらお手上げですから。

その後、カウンセラーや臨床心理士の先生にもお世話になりました。

信頼関係を築くのがとても上手な先生たちなので、娘もすぐに打ち解けました。

でも
「学校の何が嫌なのか」
という質問には途端にだんまりします。

遠回しに上手に聞いても、「うーん…」。

でも、自分を分かってくれる大人の存在は大きく、臨床心理士の先生と面談をした日は、顔色も明るく、とても調子が良いのです。

ただ、状況はというと、改善したかと思えば後退し、
「不登校が治ることはないのでは?」
と思ってしまう日々が続いています。

そんな日常を通して思ったことを、スピリチュアルを学んでいる者として、少し考えてみることにしました。

不登校の娘と過ごして悟ったこと

義務教育だから「行って当然」という固定概念を外そうと思いました

小学校は義務教育です。

だから、行くのが当たり前。
みんな行って当たり前。

・私たちの時代は不登校なんて許されてなかった!!
・泣いてでも家から追い出されていた!!
・給食だって食べるまで居残りだったけど、それでも行ってた!

と自分の幼少期と比べては、目の前の娘にイライラしていました。

でも、ふと思ったのは、
そもそも、この固定概念を私は取り払わないといけないのでは?
ということ。

「学校に行って当たり前」と思うからイライラするのではないか?

不登校の娘を目の前にして、心にもない、ひどい言葉を浴びせてしまっているのです。

そんな自分を振り返り、本当に後悔で押しつぶされそうになります。

でも、この固定概念に気づき、自分の中で取り払おうと思った瞬間から、とっても気が楽になりました。

不登校の娘を見てイライラしたら、そのモヤモヤをすぐに手放す

アセンションするためには、ネガティブな感情をすぐさま手放すことが必要と学んでいたのに、全く手放さないでモヤモヤしている自分に気づきました。

イライラしている自分にイライラ。
優しくなれない自分にイライラ。

もう、イライラの連鎖がとまらない朝です。

そんなとき、ふと頭によぎったのが
「手放しなさい」

その言葉が、脳裏をよぎり、ハッとする自分。

並木良和さんの本をあんなに読んでいるのに、こんなときこそ実践チャンスなのに。
いざとなると、すっかり抜け落ちていました。

手放すことに気づいてからは、とにかく手放しワークでモヤモヤを手放しました。

そうすると、驚くくらいに自分が整っていくのを感じました。

こどもだって心地よくないことはしたくない

そもそも大前提として、リアル人生ゲームの攻略法

思うがままに、心地いいと思うことをしなさい

という教えがあります。

私はその教えを、自分だけ実践して、
大切な我が子には嫌なことを強制しているのでは?
と気づきました。

学校に行きたくないのは、学校にいても心地よくないから。

ただ、それだけなのに…。

言葉にできないのは、その心地よくない感覚を、まだ語彙力が少ない故に表現できないからなのでは?
と思うようになりました。

言葉にはできなくても、こどもは体で表現している。

それだけで十分なのに、大人の勝手な都合で、こどもに嫌なことを強要するのは、娘の「心地よさ」を無視しているのではないか?と思うようになりました。

人生は「今」の連続。未来のことを勝手に心配するのはやめようと思った

心地いいことだけをさせて、不登校を受け入れていたら、こどもの将来はどうなるのか?
そうも思いました。

・授業に出ていないので、勉強についていけない。
・高学年になると、勉強が更に難しくなる。
・中学生になったとき、基本がないから勉強がついていけない。
・そもそも高校受験すらできないかも…

こんなことを考えては、まだ来ぬ娘の未来を、不安の目で見るようになっていました。

しかし、

不安な目で娘を見ると、不安だと思われる娘が登場してしまう。
私が心配することで、心配される娘が存在してしまう。

世界の真実は「今」の連続。

だから、「今、心地よい」ことにフォーカスすることで、引き寄せの法則も相まって、きっと娘にも、素敵な未来が訪れる!と信じれるようになりました。

だって、世界の成功者は、真面目に学校を卒業した人だけではないから。

中退した人、高卒の人、むしろ学校にすら行ってなかった人がいるのですから。

成功しなくとも、娘が幸せな人生を送れたら十分なんですよね。

この世界の真理に気づき、こどもたちにも教えていくことで、きっと娘にも素敵な未来が訪れる!

まずは親である私から信じることにしました。

まとめ

娘が不登校になって2カ月。

スピリチュアルを学ぶ私が悟ったこと

・こどもの心地よさを信じて、学校へ行くことを強要しない

・イライラしたら、自分の中のネガティブな感情をすぐに手放す

・心配の目、不安の目でこどもを見ない。

・まだ来てない未来にフォーカスせず、今のこどもを信じようと思った
正直、まだ菩薩のような境地にはなりきれないですが、人生は経験と思うことにします。

子から学ばせてもらってる。
そう思えば、なんだかとっても救われる次第です。

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